WRCを代表するラフロードイベントが復活
後半戦に突入したWRC第10戦はギリシャで開催されるアクロポリスラリー。かつてはサファリと双璧を成すラフロードイベントであり、リタイア率が最も高いラリーとしても知られていた。ところが、昨年久しぶりにWRC復帰を果たしたアクロポリスのステージは良好な路面が選ばれ、参加チームが拍子抜けするほどで、アクロポリスらしくないという評価が大半だった。
そこで今年、主催者はかつての名物ステージを盛り込み、再びタフなイベントとするべくステージ構成を刷新。とくにデイ1はアテネ市内オリンピックスタジアムのスーパーSS1から伝統的にラリーの中継点だったラミアまで1日を通してメカニックが車の修理や整備を行えず、1回のタイヤ交換だけが許される厳しいスケジュールだ。
こうした事前情報だけで今年のアクロポリスが荒れたものとなることは誰にでも予想できたが、実際のラリーの展開はその予想を大きく上回るサバイバル戦だった。
フォード勢が驚きの1-2体制で序盤を席巻
6万人という観客を集めたオリンピックスタジアム内のスーパーSS1はヒョンデのティエリー・ヌービルの最速タイムで幕を開け、翌日SS2からのラフロードで本格的な戦いとなる。ここで飛び出したのが後方スタートを利したフォードのセバスチャン・ローブとチームメイトの若手、ピエール-ルイ・ルーベだった。
ローブの速さはある程度予想されたものの、フォード入りした今シーズン、良いところのないままだったルーベの首位争いは完全に予想外。一方、トヨタのカッレ・ロバンペッラを先頭にした選手権上位のフロントランナーたちは大量に積もったダストの掃除役となって苦戦。ダストの量が尋常ではないことに加え、アテネからラミアへステージをこなしながら移動していくためにリピートステージが1か所しかないデイ1では懸命にプッシュしても中位グループに止まることも出来ない。
快走するフォード勢に対し、トヨタのエセッカ・ラッピ、ヒョンデのヌービルも食い下がるが、フォードの2人は順位を入れ換えながらローブ-ルーベの順にデイ1を1位2位で走り切った。
フォードの失速とヒョンデの上位独占
ところがデイ2序盤でラリーの流れは大きく変化する。ラミアから西へ向かいラリー最長のピルゴス、以前から勝負所となっていたタルザンなどのステージをリピートする今回のラリー最長のこの日最初のSS8、ピルゴス1回目の走行後にローブが電気系のトラブルでストップしリタイア。さらにルーベもタイヤのバーストで大きく後退。フォードのトップ独占はいきなり瓦解してしまった。
これで首位に立ったのはヌービル、2位にもオイット・タナックが上がり、今度はヒョンデが1-2体制。なんとか食いついていたトヨタのラッピも一時はタナックを抜き2位に上がるが、2ループ目のSS12でエンジンがストップ。これでヒョンデは1-2どころか4位にいたダニエル・ソルドが3位に浮上し、デイ2を1−2−3体制で終えることになった。4位にはトヨタ勢で生き残っているエルフィン・エバンス。
ヒョンデ万全の1-2-3フィニッシュ
最終日はわずか3か所のSS、45.06kmという短い一日だが、ここでヒョンデはチームオーダーを出す可能性も指摘されていた。首位のヌービルをペースダウンさせてタナックを優勝させればロバンペッラとの差が詰まり今後のドライバーズ選手権に希望が大きくなる。ヌービルとタナックの間には27.9秒の差があり、残されたステージ距離を考えれば実力での逆転は現実的ではない。
しかしデイ3が始まる前に明確なチームオーダーはなかった。そのような状況で最初のSSに向かうロードセクションで3位ソルドの直後につけていたトヨタのエバンスがターボトラブルのためにリタイア。これでデイ3の戦いを前にヒョンデの1-2-3を脅かす存在はいなくなった。
そして迎えた最初のSS14でタナックがアタックして最速タイムをマークする。とはいえヌービルも2番手タイムで差は2.9秒しか縮まらない。もはやタナックの自力での逆転の可能性はない。その直後にヒョンデはドライバーたちにポジションキープのオーダーを発令。ヒョンデの3人は指令通りペースを守り、ヒョンデ初の1-2-3フィニッシュ、表彰台独占を達成することになった。
今回の2位と最後のパワーステージのベストタイムでタナックはロバンペッラとの差を72ポイントから53ポイントに縮めた。チームオーダーでタナックが優勝していれば差は46ポイントだったわけだが、順位を入れ換えるべきだったかどうか、それは今後の3戦で結論が出る。
4位はルーベ、5位がクレイグ・ブリーンのフォード勢。トヨタは勝田が6位に生き残るが、選手権獲得が期待されたロバンペッラは15位に終わっている。デイ1の路面掃除、デイ2のクラッシュによる14分ものタイムロスでポイント圏外となった彼は、パワーステージの2番手ポイント獲得が唯一の成果だった。
ライター
川田輝(かわだあきら)
1960年生まれ
自動車雑誌の編集部員からオートテクニック、ラリーXプレスのジャーナリストになる。
アジアパシフィック選手権、PWRCのチームマネージャーを経てスズキWRTのチームマネージャーを務めた。
WRCは取材、チーム参戦で250戦ほど経験